激!!中京大学陸上部梅月寮物語

今回はバリバリ体育会系の大学生だった私の寮生活の体験を語ろうと思います。

その寮の名は梅月寮

中京大学陸上部跳躍ブロックの学生寮でした。

中京大学の跳躍ブロックといえば、ポール・ボールターにとって名門中の名門。

全日本クラスの選手を多数輩出しています。

それもあってか、梅月寮は関東にまで、その名が聞こえているとも言われてました。

この寮に、各県で名を馳せ希望に胸を膨らませた若きジャンパー達が全国から集結します。

平成二年の春、18歳の私もその中にいました。

初めて親元を離れ、沖縄からはるばる愛知県豊田市の四郷町へ。

坂の途中の逆光の中そびえる梅月寮の門をくぐったのです。

私は正式な入寮日より二日ほど早く部屋入りしたのですが、

その二日間は、廊下で人とすれ違えば、おそるおそる目を合わせ、

新館一階の冷たい六畳部屋で、ひっそり身を隠すように過ごしていました。

そして、暖かな春の日、新一年生達が一堂に集められ、寮内の食堂で入寮式が執り行われました。

これから生活を共にする同志13人が緊張しながら初めて顔を見合わせたのです。

式が一通り終わった後、二年の先輩方から寮の規則について説明があり、

それを私達は一生懸命ノートにメモしました。

それも終わって、宜しくお願いしま~す!と、解散しようとした刹那、

パチッと電気が消え、部屋が真っ暗に・・!?

何が起こったのか理解する間もなく、

先輩達の気合いの入った恐い声と、竹刀を叩く音がっ!

勿論、全て演出ですが、

右も左も分からない一年生達を凍り付かせるには十分な迫力・・

さっきまであんなに優しかった二年の先輩方が豹変したという動揺もあり、

異常なほど空気は張りつめました。

「こ・・これが、日本古来からあるシゴキというものか?まだ現存していたとは・・」

私はビビりながらも、事の流れに身を任せるしかありませんでした。

その後、恐怖によって初期化された私達一年の頭に、

梅月寮「鉄の掟」が、たった一晩で叩き込まれたのです。

翌日から一年は、身を寄せ会う草食動物のような生活を余儀なくされました。

寮内ではいつ何時、先輩方に遭遇するかわかりません。

その時に掟を守れなかったら大事です。

まず、どんな遠くでも先輩を発見した時は、即座に立ち止まり、

正面を向いて「こんにちはっ!」と一礼。

先輩が視界から消えるまで、その場から動いてはなりません。

先輩が見えなくなる手前で「失礼しますっ!」と再度一礼して、

初めて厳戒態勢の解除となります。

先輩がその場に留まっている場合は、タイミングをとって「失礼しますっ!」で去ります。

ちなみに挨拶の声は、約50m先でも言葉が聞き取れるほどの音量で、

なお且つ「こんにちは」では「こ」、

「しつれいします」では「つれ」にアクセントを置いて発音します。

語尾は伸ばさず、スパッと切り、言うスピードは約0.5秒以内がベストです。

この、日本の伝統芸能にも匹敵する洗練された所作は、

入寮式の晩に徹底的に仕込まれたものです。

悲しいかな、各人のセンスの有無はこんなとこでも出るもので、

下手な人は何度も練習させられて可哀想でした。

この挨拶は寮内に限らずキャンパス内でも遵守です。

なので、中京大学豊田キャンパスでは、

あちこちで常に「こんにちはっ!失礼しますっ!」が、こだまする状況でした。

近くに部外者がいるとビックリされるので、恥ずかしさに慣れるまでが大変でした。

しかし、そのキャンパス内の挨拶は私達の代で廃止になります。

当時跳躍ブロックの特別コーチであった、

元三段跳世界記録保持者ウイリー・バンクス氏の異議による、

という噂でしたが、真相は分かりません。




あと、用事で先輩の部屋に入る時にも厳しい掟がありました。

まず、ドアを2回ノック、中から返事が聞こえたら「失礼しますっ!」で中に入ります。

先輩を確認したら、「こんにちはっ!」もしくは「こんばんわっ!」で一礼。

外の時よりも声のトーンは落とします。

そして、「失礼しますっ!」を言ってから、

「〇〇先輩、〇〇様からお電話です」と要件を言い、

「失礼します」で部屋を出ます。

マニュアル的に難易度は並なのですが、

先輩の100%プライバシーエリアという完全アウェーの戦い故、

私達一年のプレッシャーたるや相当なもんでした。

あと、公の場で意見を述べる時の挙手の仕方にも掟があります。

「失礼しますっ!」と同時に手を挙げるのですが、

まず、右手を伸ばして腿横に指を5本くっつけてピンと伸ばします。

その状態から、身体横中心の一直線上を中指をなぞらせながら素早く挙げます。

どこかのやり方を参考にしたかも知れませんが、完成されたそれはもはや、

シンクロナイズドスイミングに匹敵する美しさです。

さて、これらの厳しい掟が梅月寮に存在する背景には、

一年生は奴隷、二年生は平民、三年生は天皇、四年生は神様

という、暗黙の身分制度があったことを言っておかねばなりません。

たった四年で奴隷から神様へ出世できるのも驚きですが、

この身分制度のとうり、

一年が三・四年の先輩に用事以外で話かけることは決して許されません。

向こうから話しかけてきて初めて、「失礼しますっ!」で返答ができます。

そして基本、一年の世話係は二年の先輩方ですが、教育の責任も負っています。

もし、三・四年の先輩方から見て、一年が掟を守ってなかったり、

何かしら粗そうがあった場合、全ては二年の先輩の耳に入ります。

たとえ一人が問題を起こしても、

連帯責任として一年全員が二年の先輩方から厳しい制裁を受けることになるのです。

それが・・

「集合」

嗚呼、なんて恐ろしい響きでしょうか。

集合があることを聞いた時、知らせてくれた同志と私の間には、

戦時中、赤紙を受け取った時の夫婦のような、思い詰めた空気が走ったものです。

集合の夜、一年は例によって食堂に集められ、

あの入寮式後に味わった闇の恐怖を再び味わうことになります。

その恐ろしさと言ったら、

三日三晩、徹夜で飯抜きの方がまだマシだというほどでした。

なので、私達一年は、学業と部活動とバイトに励みながらも、

集合の無い平和な日々がいつまでも続くよう、

祈るように過ごしていたと言ってもいいでしょう。

しかし、これだけの集団生活の中、何も起こらないはずはなく、

無情にも集合は何度かかけられてしまいます。

その中でも特に印象深いエピソードを紹介しましょう。

ある朝、新館共同トイレの手洗い場で洗顔をしていたS君。

タイミング悪くトイレの横を先輩が通った。

しかしS君、顔を洗っていて気付かない。

ハイ、集合~!

その日の晩、例の如く食堂において恐怖劇場の始まりです。

「今朝トイレで先輩とすれ違って挨拶しなかった奴がおる。・・誰や?」

シーン・・

当然みんな知りません。当事者さえ知らないのですから。

「へっ?・・誰だ?先輩に挨拶しないなんて。そんな命知らずがいるはずないよ。

何かの間違いだ、きっと・・」

様々な憶測と不安が頭の中で渦巻いた瞬間、

「Sーっ!オマエじゃあーコラァッー!」

「ヒーッ!すーみーまーせんでしたっっ!!」

S君は訳が分からぬまま条件反射で叫びました。

しかし、何という理不尽な仕置きでしょう。

「S君は洗顔してて気付かなかっただけなんですから、そこは大目にみて下さいよ。」

なんて誰も言えるはずがなく、

みな沈黙の中、自分じゃなくて良かったという安堵と、

葬られたS君を憐れむことしかできませんでした。

S君には申し訳ないですが、この時は最高に面白かった。

もちろん、後日振り返ったらですけどね。

あと、恥ずかしながら、私のせいで集合になったこともあります。

キッカケとなった事件は、豊田キャンパス学食内での陸上部の卒業生パーティーで起こりました。

私は、マイケル・ジャクソンに扮し一曲踊る余興を任されてたのですが、

曲に乗って登場した直後、舞い上がってしまった私は、

ウケ狙いで配膳中の揚げ物をパクッと食べちゃったんです。

ビックリした学食のおっちゃんを余所に最後まで踊り切って、拍手喝采だったのですが、

その後に地獄が待ってました。

集合・・

さすがにこの時ばかりは、自分のせいだと分かってました。

多分、頭の中が真っ白だったのでしょう。

この時の集合の様子は一切記憶にございません。

ただ翌日、二年の先輩と二人で学食へ謝罪しに行ったのは覚えてます。

「具材はちょうど人数分しかなかったから、ああいうことされると困るんだよ」

怒る学食のおっちゃんに平謝りする先輩と私・・

おっちゃん、先輩、あと同期のみんな、あの時は本当にすみませんでした。

最後にもう一つ、身の毛もよだつ事件を紹介しましょう。

当時、私達一年の仕事に電話当番というのがありました。

寮当室前に置かれた2台の公衆電話。

そこへかかってきた電話に二人一組で応対、部屋まで先輩を呼びに行く仕事です。

あの頃は携帯電話すらない時代。

寮生にとってそこは、遠く離れた親や友達、恋人と心を繋ぐ特別な空間でもあったんです。

そこで事件は起こりました。

その日の電話当番は私とI君。

I君が電話対応を済ませ、受話器を置いたのは、

なんと三年の先輩がお話中の隣の電話!

「あっ・・」

思わず声を漏らしたI君と見つめ合う先輩・・

「あ、じゃねぇよ・・」

I君の後ろで見てた私は力が抜けました。

電話を切られた先輩がどうしたかまでは覚えてません。

お金を入れてかけ直したのか、

部屋に戻って再度かかってくるのを待ったのか・・?

どちらにしても不祥事ですっ!

完・全・なる、一年の不祥事ですぅーっっ!

その後どうなったかは言うまでもないでしょう。

さて、こんな厳しい梅月寮の生活で、

間違いなく私達一年の絆は強くなって、仲良くもなりました。

いや、そうならざる負えなかったと言った方がいいかも知れませんね。

そして、誰にでも時は流れるもので、

二年に上がった私達は、やっと平民に格上げされ、

今度は一年を教育する立場になりました。

もちろん集合もかけましたが、

私達の時よりは数は減ったんじゃないでしょうか。

余談ですが、私が寮近くのサークルKで立ち読みしてた時、

偶然入ってきた一年に大声で挨拶され、とても焦ったことがあります。

「さすがに公衆の場では止めようね」

と優しく教えてあげましたよ。

それから私は、三年に上がると同時に友達と一緒に寮を出て、

日の出荘という所でルームシェアを始めました。

寮に残れば天皇から神様への出世が待ってましたが、

自由気ままな生活をしたくなったんでしょうね。

そこで自炊もして半独り暮らしを満喫しましたよ。

振り返れば、梅月寮での生活は、厳しかったからこそ笑えることも沢山あったし、

打ち解ければ先輩方もとても優しくて、面白い人ばかりでした。

集団生活ならではの楽しい思い出もいっぱいあります。

先輩や同期の部屋で飲み明かしたり、

先輩の斡旋で色んな日雇いバイトしたり、

寮の入口前で卒業する先輩をギター弾き語りながら見送ったりもしました。

この梅月寮での体験は、大学の授業よりも貴重で得難いものだったと、今になって思います。

大学出してくれた親には申し訳ないですけれど。

ちなみに、梅月寮が厳しかったのは私より少し下くらいの世代までで、

それ以降は時代の流れと共に和らいでいったようです。

私より上の世代は、もっと厳しかったと聞いたこともあります。

私が知る沖縄出身の先輩に、入寮式直後の一発目の集合で

「自分はそうは思いませんっ!」

と、決死に反発した人がいます。只者ではありません。

一応、念のため言っておきますが、

この梅月寮では、リンチ等、悪質なシゴキは一度もなかったことを断言しておきます。

だからこそ面白おかしくブログに書ける訳で、

そのへん誤解のないように宜しくお願いしますね。

私と同じような体験をしている若者は今は殆どいないと思いますし、

こんなのただのパワハラだと批難されるだけかも知れません。

しかし、それは私にとって最高に楽しかった時代の一つであり、

そこで出会えた人達は最高の財産となりました。

・・今も梅月寮はあるのだろうか?

ふと、そう思ってネットで調べると、

建物は残ってそうですが、運営されてるかまでは分かりませんでした。

これは是非とも月山商事に問い合わせなければなりませんなっ!

今回も最後まで読んで頂き、大変ありがとうございました。

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コメント

  1. 中村明雄 より:

    土曜記録会について調べていたら、このブログに。楽しく読ませてもらいました。
    私は、青雲寮。梅月寮ではないけど、集合の話は友達からよく聞きました。補助倒立5分間!?
    沖縄では、棒高跳びの大城君や三段跳びの當間君がいたな。
    懐かしい話ですね!

    • tonaki より:

      コメントありがとうございます。三段跳びの當間さんは同郷でよく知ってます。中村さんも中京大OBなんですね、凄い!ブログやってて良かった!

  2. 藤野芳次 より:

    なつかしい!
    私は、昭和51年に大学に入学し、同時に梅月寮に入寮した者です。
    この当時の集合は、殴る蹴るは当たり前でしたね。ある時、監督にその事が耳に入り殴る蹴るは、無くなったのですが、1年生全員で腕立て伏せ一人10回数えで33人330回やった事有ります。
    今は、いい思い出ですね。

    • tonaki より:

      コメントありがとうございます。そうですか、藤野さんは私より一回りくらい先輩になりますが、やはり私の時代よりも相当厳しかったのですね。
      私は先輩に殴られた最後の寮生だと思いますが、藤野さん同様に良い思い出になってます。
      ちなみに、今年7月に梅月寮同窓生と寮を訪れたのですが、残念なことに廃墟となってました。