陸上競技に青春を捧げた者ならば、ランニングシューズとスパイクはある意味、恋人のようなもんですよね。
自分と苦楽を共にしてるからこそ愛着も湧きます。
私の高校時代(1980年代後半)のランニングシューズといえば、アシックスとナイキを履く人が殆んどで、他メーカーは少数派でした。
また、陸上スパイクではアシックスとミズノが双璧で、それにナイキとアディダスが追従してました。
思い起こせばあの時代は、ランニングシューズ、スパイクともにメーカー同士の戦国時代だったように思います。
各社が新商品をぶつけ合った闘争劇は、私達シューズファンを大いにワクワクさせてくれたもんです。
ランニングシューズとスパイクは当然用途が違うので、闘いの歴史がそれぞれ違います。
それでは、ランニングシューズの方から私の思い出も交えて振り返ってみましょう。
まず、この時代最初は、ナイキのエアが引き金になった「クッション戦争」が勃発します。
ナイキ・エアの出現は実にセンセーショナルでしたが、大手アシックスも黙っちゃいませんでした。
すぐさま「α-ゲル」というクッション材を武器に対抗します。
「ビル6階から卵を落としても割れない、驚異の衝撃吸収力」というウリでアシックスは猛攻を掛けますが、
ナイキは「衝撃吸収だけでは能が無い、エアは高反発性も備えている」と、果敢に応戦します。
ちなみに、アシックスのα-ゲル搭載の初代モデルは、全面シルバー色で高級感に溢れ、価格も当時としては破格の2万円前後したんじゃないでしょうか?
「誰がこんなもの買うんだよ~」私は僻みながら薄ら笑ってましたが、一つ上の先輩がソッコー履いてきたのを見て、愕然としたのを覚えてます。
私は格下の「スカイセンサー」を履いてましたが、これもなかなか良いシューズでしたよ。
履き潰した後にα-ゲルを中から取り出して、指でプニプニ遊びましたねぇ。エアでも同じことしましたけど。
話を戻しまして・・・
ナイキとアシックスに続けと、ミズノも「ソルボセイン」という、「人の筋肉に近い」クッション材を武器に戦線に加わりましたが、タイミング的にα-ゲルの二番煎じ的イメージは拭えなく、地味な攻勢に止まりました。
でも個人的に、ソルボセインのシューズ中敷きは、なかなかの逸品だと思いましたけどね。
ミズノは後に、安定感を上げる為にミッドソールに布を挟んだシューズなんかも出しましたけど、これも地味~な感じでした。
ナイキエアの登場から、各メーカーを巻き込んだクッション戦争は、従来裏方でしかなかったクッション材を見える化することで主役にまで押し上げた、ナイキの勝利でした。
それは「見えるエア」の代名詞エアマックスが、競技者のみならず、ファッション界をも席巻し、今だに不動の人気であることからも明らかでしょう。
また、ナイキは当時から、「ソックレーサー」といった、自社のマークを除いた未来指向のシューズを出すなど、常に最先端を行く、シューズ界のアップル社的存在感を確立して行きます。
ナイキがエアをより進化させる中、他社が次々と土俵から降り出したクッション戦争終盤において突如、私達シューズファンを震撼させる事件が起きます。
それが、欧州の重鎮ブランド、アディダスによる「トルション革命」です。
「トルション・システム」と呼ばれるその新機能は、走行時の足底の捻れを開放しながらも制御するという、これまでのクッション性の追求とは全く違う、「モーション・コントロール」という概念からの奇襲攻撃でした。
これにはヤラれましたね。
私はその未知の機能を体感したい欲求を抑えきれず、初代トルション搭載シューズ(白と黄色のやつ)をすぐに購入しました。
履いてみたらビックリ!
触れ込みどうりの、特にコーナーでの走り易さは素晴らしいの一言。
アディダスというブランドは過去にも、ロッドを装着してソールの固さを調節するシューズやら、ミッドソールをネットで包んだり、メカ搭載のシューズを作ったりと、破天荒な気質は確かにありました。
それが裏目に出ていたのか、日本ではイマイチ普及してなかった感じでしたが、ここへ来て、しかもこのタイミングで、よくぞやってくれましたよ。
クッション戦争で各社がドンパチやってる時に、虎視眈々と機会を伺い、皆が疲弊した頃を狙い奇襲攻撃するとは・・・アディダス恐るべしです。
トルション搭載の初代モデルは、アディダスらしからぬカラフルなデザインも功を奏して、大ヒットしましたよね。
私の周りでもトルション以降、アディダスを履く人がだいぶ増えました。
今もトルション搭載シューズはありますが、本当に機能してるのか?ってくらい、システムが変わり果ててます。無念ですが・・・
ちなみに長く履いてると、足底ジョイント部分の溝からミッドソールがボロボロになり、トルション・バーが剥がれて死ぬ、というのは、初代トルションあるあるです。
このトルション革命以降、プーマのディスクシステムや、リーボックのポンプテクノロジーなど、新たなイノベーションが次々誕生して、シューズ機能新時代が幕を開けたのです。
さて・・・
私が高校時代のランニングシューズ事情はざっとこんな感じでしたが、この時代だけでも、たくさんのシューズが生まれては、消えて行きました。
あれからもう30年経ちますが、今でも当時のシューズを手に入れたい欲求は、俄然あります。
初代トルションシリーズは勿論ですが、アシックスのα-ゲル登場前の「アドック」も超カッコ良かったなぁ。
黒と白のカラーリングで、ミッドソールに黒の四角いソールが三つ並んで入ってるやつです。
覚えてる人いますか?オークションにも出て無いでしょうね・・・
どうでもいいことですが、新品のランニングシューズって、なんであんな良い匂いなんでしょうね?
私は特にアシックスとアディダスの匂いが大好きでした。
さて、お次は陸上競技用スパイクにいきましょう。
陸上選手にとってスパイクとは、美容師にとってのハサミ、大工にとってのカンナのような、命とも言える道具です。
私は三段跳選手でしたが、スパイク履かずに裸足で跳んでみろ、と言われたらゾッとします。
それくらい、スパイクの役割は重要で、競技者のパフォーマンスを限界まで引き出せるかどうかの鍵を握ってるとも言えるでしょう。
私が陸上スパイクを初めて見たのは中学生の時、オニツカタイガーのアンツーカー用スパイクでした。カンガルースウェードのやつです。
この時代オールウェザートラックは少なく、土用のスパイクの方が身近でしたね。
それにしても、あのピンの尖り具合は凶器でしたよね。
走幅跳びの着地で自分の手がピンに接触して大怪我した人が実際にいましたよ。かわいそうに・・・
ミズノのスパイクはマークがまだ「M」の形でしたし、ハリマヤのスパイクもまだ絶滅してませんでした。
当時、アディダスの4本ピンのスパイクを普通に定価で売ってた凄いスポーツ店がありましたけど、今思えば買っておけば良かったぁ・・・
この時代はトラックの変化に伴い、スパイクも大きく変わります。
まず、素材が皮製からナイロン製へ、プレートがツルツルなものから突起物があるものへ。
カラーも原色系のものから、蛍光色系のカラフルなものへと移行していきました。
ちなみに私が中学三年の時、初めて購入したスパイクはアシックスの短・中距離用スパイクでした。私は走高跳選手だったんですけどね・・
名称までは覚えてませんが、ブラック×グレー色の本体に蛍光イエローのマーク、イエローのプレートとオレンジのアウトソールには蹄のような青いプレートが埋め込まれてました。
本当は走高跳専用スパイクが欲しかったのですが、値段は高いし発注品でもあったので、中坊の私にそんな大胆な買い物をする勇気はなかったです。
高校生になってやっと、アシックスの走高跳用スパイクを片方だけ買いましたが、左足に走高跳用スパイク、右足にトラック用スパイクを履いて跳ぶ選手なんて今時いないですよね?我ながらよくやってましたよ。
さて・・・
私が高校時代に流行ったスパイクで真っ先に思い浮かぶのはやはり、アシックスのタイガーパウタスクX1ですね。
もう、み~んな履いてました。ウンザリするくらい。
まぁでも、ヒットするだけはありましたよ、このスパイクは。
蛍光オレンジのカラーも斬新で、ワンピースプレート上の大小無数の突起物によるグリップ・アピールには大変衝撃を受けたものです。
その細かい突起物の先端が潰れたら、履く人はストレスで競技どころじゃないだろうな、なんて、私はいらん心配をしてました。
さて、このX1のヒットが鮮やか過ぎて、他メーカーの存在が一時霞んでしまったのは間違いありません。
それでは、アシックスと双璧だったミズノはどうだったのか?
ミズノはX1に匹敵する製品はありませんでしたが、着実に王者アシックスに肉薄していきます。
なぜなら、ミズノはこの時期、カール・ルイスとフローレンス・グリフィス・ジョイナーとのスポンサー契約という大仕事を成し遂げたからです。
この超スーパースターの全身ツーショット写真の一面広告を陸マガで見せられたらそりゃあ、キッズ達はコロッといきますわな。
さらにミズノは、多分全国でやっていたと思いますが、陸協か高体連かを通して、各種目の有力選手にスパイクを提供してました。私もお世話になった一人です。
短距離選手には「シティウス・ジャパン」という上位クラスのスパイクを提供してましたね。
そういった並ならぬ企業努力と戦略が、王者アシックスを脅かすほどの地位を築き上げたのでしょうな。
余談ですが・・・
当時、私の友人が、ミズノの「ギャラクシー」という短距離用スパイクを履いてたのですが、
これはスゴかった。失礼な意味で。
サイケなカラーリングとプラスチック感溢れる風貌で、やれウルトラマンだとか、やれプラモデルだとか、周りから散々イジられてましたよ。
まぁ、ミズノの狙いは分からんでもなかったですが、実際に履いて走った友人の狙いは、未だに分からないですね。
さて、他社にも目を向けてみましょうか。
その頃、あのナイキが意外と大人しく、主力の「マーキュリー」シリーズも、白地に赤や青のマークだけのシンプルなものでした。
しかし、マーキュリーのピン左右列のズレが気になってたのは私だけでしょうか?
あと、埋め込みセラミックピンのスパイクは一度履いてみたかったですね。
ナイキはスパイクにおいては、アシックスとミズノに押されてましたが、カール・ルイスがかつて履いてたこともあり、一応、洋物枠のリードポジションは抑えていました。
しかし、ここはアディダスが黙っちゃいません。
「アディスター」シリーズを投入して洋物枠に割って入ります。
私的にこのアディスターは、短距離用スパイクの中では一番好きでした。特にカルビン・スミスが履いてた黒いやつがエグくてカッコ良かったです。
ちなみにアディダスは数年後、「アクセレーター」という、これまたクセの強いスパイクを出すなど、破天荒な気質は相変わらずでしたね。
アディスターシリーズ投入と、ベン・ジョンソンが履いたこともあり、アディダスは日本でもジワジワと存在感を強めていきます。
ちなみに、ローマ世界陸上では、ミズノを履いたカール・ルイスが、アディダスを履いたベン・ジョンソンに打ち負かされ、
その後、ベン・ジョンソンはディアドラに乗り換えてドーピングで捕まり、カール・ルイスはミズノと組み続けて、再び世界一に返り咲いた・・・
その選手が履くスパイク込みでレースを見ると、より深い物語を味わえます。
しかし、自社のスパイクを履いた選手が世界新を出した時のメーカー関係者の喜びようは、私達の想像が及ばないほどでしょうね。
近年の世界大会においては、ナイキとアディダスを履く選手が殆んどを占めてるように見えます。
ボルトの力で勢いを得たプーマも、この2強の牙城を崩すには、まだ時間が掛かるでしょうね。
でもやっぱり、アディダスとナイキのスパイクは見た目がカッコ良いですわ。当分2強時代は続きますね。
たまに世界大会の長距離種目で、ほぼ全員の選手が、同じメーカーの同じニューモデルスパイクを履いて壮大に走ってるのを見かけますが、
それは果たして選手本人の意志なのか、メーカーの策略なのかと、私は考えを巡らせてしまいます。
さて次は、私が実際履いていた、三段跳用スパイクについて語ろうと思います。
ちなみに、私が履いてきたメーカーは、アシックス→アディダス→ミズノ→アディダス→ミズノでしたが、順を追って振り返ってみます。
一番最初のアシックスは先輩からのお下がりでした。
スウェード素材で全面濃紺色のボディ、マークが黄色のやつです。
2-4のピン配列と相性が良かったのでしょう、非常に跳び易かったのを覚えています。
しかし、一年程使用した頃に悲劇は突然訪れました。
なんと、プレートが真ん中でパッカーンと、横一直線に割れたんです。
「これは死んだな・・」と思ったのですが、望みを懸けて恐る恐る走ってみたら、完全にフンガフンガで、全く使い物になりませんでした。
このようにプレートが割れるのは、2-4ピンあるあるなんでしょうか?試合中じゃなくて本当に幸いでしたよ。
このアシックスの後に購入したのは、天下のアディダスです。
流れ的に次は、アシックスのニューモデルに行きそうですが、そうならなかった訳があります。
ローマ世界陸上とソウル五輪の三段跳王者、フリスト・マルコフにモロ影響を受けてしまったんです。
私は彼のフォームを真似したり、ハイソックスで試合にも出るくらいでしたから、彼の履くアディダスのスパイクに眼が眩むのは当然です。
当時の私は「三段する奴が三本線のスパイク履かんでどうするとや!」くらいにアディダスを崇拝してたので、実際にスパイクをゲットした時は天にも昇る気持ちでしたね。
当然、使用前の匂いを嗅ぎまくりましたし、ベロ裏の「Made in West Germany」と書かれたタグを眺めながらウットリもしました。
ハッキリ言いますが、この時代のアディダス三段跳用スパイクこそ、全てのスパイクの中で最も美しい。
生成地に濃い橙色の三本線は鮮やかで、真っ赤なプレートは強い欧州の象徴に見えました。
乳白色のプラスチック製ヒールカップは接地時の安定性を高め、二重に締め付けるレースは高いホールド性を実現します。
完璧なデザインと完璧な機能が融合した、まさに最強のスパイク!
・・・のはずでした。
しかし残念ながら、私にとって最強ではなかったのです。
実際に使用すると結構重いし、ソールも硬過ぎて、初めて履いた試合で踵を潰してしまいました。
深刻な故障ではなかったのですが、高校最後の勝負の年の最初の試合でコレですよ。
そして後日、たまたま陸マガのソウル五輪特集でマルコフの記事を見た時のことです。
アップ写真で彼のスパイクを良く見ると、明らかに私の物よりソールが厚い・・・
「・・自分だけクッション良くしてんじゃねぇよっ!」
憧れの人にも関わらず、私は怒りのツッコミを入れてしまいました。
私はミーハーな自分を恨みながらも、スパイクを買い換えることもできず、気付けばシーズンの半分が過ぎてました。
そして、全国インターハイを控えた頃、ミズノから三段跳用スパイク(当時のは白地に赤のマーク)を提供して頂いたんです。
渡りに舟でした。
正直、私にとってミズノはアディダスよりも格下でしたが、実際に使用してみると、
良いんです・・
とても軽い上にクッション性も良く、細い足幅も私にはジャストフィットでした。
一応、アディダスは私の足に合わなかっただけで、製品が悪いと言ってる訳ではないですからね。念の為。
このミズノスパイクのおかげで、高校最後のシーズンは満足な結果を出すことができました。
やはり、スパイクは見た目よりも、自分のパフォーマンススタイルと足の形状に合ったものを選ぶべきだと、つくづく思いましたね。気付くの遅ぇよって感じですか?
大学生になった私は、眠っていたアディダスへの憧れが再び目覚めてしまいます。
ミズノのスパイクはまだ使えたのですが、アディダスのニューモデルが欲しくて欲しくて、思わず買ってしまったのです。
私にとって四代目となるこのスパイクは、前のモデルより軽量化され、クッション性も良くなって、だいぶ足に優しくなってました。
イエローとグリーンのカラーリングも日本製に無いセンスでカッコ良かったですねぇ。
しかし、全体的に優し過ぎるというか、地面からの反発が弱い印象を受けました。
それで再びミズノに戻るのですが、そこで私は調子に乗ってしまいます。
オーダーメイドってやつをやるんです。
色だけをカスタマイズしたのですが、ボディ全体を黒色に、マークは黄色、プレートとソールは白色に変えました。
私はこのスパイクを「ブラック・バード」と名付け、意気揚々とトラックで試してみたんです。すると・・
「あれっ?ミッドソールが前のミズノよりも明らかに硬い・・・」
型は同じで色を変えただけなのにおかしいなと思いましたが、すぐに原因が分かりました。
純正のミズノのスパイクは、赤色の柔らかいミッドソールと白色の硬いミッドソールの二層構造なのですが、私はミッドソール全てを白色に指定したので二層とも硬いミッドソールで仕上がったきた訳です。
この不本意な結果に、私は文句言う気力もありませんでした。
あらためて陸上スパイク、とりわけ三段跳用スパイクのデリケートさを痛感させられたんです。
結局、これが私にとって最後のスパイクとなりましたが、競技成績はいまいちパッとせず大学時代を終えました。
今後、全力で三段跳をやることは多分ないとは思いますが、未だスパイクへの思い入れはあります。
過去に履いたメーカーの最新モデルは勿論、まだ一度も試したことがないナイキやプーマのスパイクも是非履いてみたいなと思うんです。クセはありそうですけどね。
自分の部屋に陳列された、三段跳用スパイクを眺めながら酒を飲むのが、私のささやかな夢の一つでもあります。
さて・・
長々と完全自己満の記事を書いてしまいましたが、ここまでついて来て頂き、大変ありがとうございました。
https://h-tonaki.com/triple-jump-every-kind-record/